Keith Emersonの訃報とGreg Lake "Song of Lifetime"

Keith Emersonの訃報に際して、どういう訳か、この動画を思い出したんだよね。


最初の質問者の質問、最後の方が聞き取れないんだけど、YESがELPと一緒にツアーした時の話についての質問だと思うんですよね。
(いつの話なんだろう?)



冒頭から、「Chris Squireと一緒にロンドンで住んでいたんだよ」と。
「みんなYESとELPは仲が悪いみたいに話すけど、全然そんな事ないんだ。友好的なライヴァル意識みたいなのはあったけどね。YESは僕らをHenderson Snake and Charmer(ただの語呂合わせなんだけど、一応snake charmerってのは蛇使いという意味がある。)って呼んで、僕らは彼らをMaybeって呼んでた」。(この件は個人的に大好きです)
「面白い話だと、Yesがプライベートジェットを欲しがっていたんだ。移動に飛行機を使っていたから。その時、僕たちと彼らで同じチャーター会社と(契約を)取ろうと争っていたんだ。彼らは胴体に名前を付ける事を条件にしていたんだ。」
「飛行場へ行って、飛行機が表れた。胴体のところにYESのロゴがあって、彼らはとてもハッピーになったんだ。飛行機が着陸して、YESって書いてあると見栄えが良いだろ?そして、搭乗して、離陸して、ある程度の高度まで上がると、ズルズルと音がするんだ。で、破裂するような音がしたんだ。ヒュ〜ッ、ポン!って。時速500マイルからいきなり一瞬で時速250マイルまで落ちたんだ。何が起きたかと言うと、胴体に付けたYESのロゴはでっかいステッカーだったんだ。それが剥がれてエンジンに巻き込まれたんだ。残ったのはもう片方のステッカーとエンジンだけだよ。想像出来るかい?待っているのは。。。結果、彼らは無事に着陸出来たよ」。
「最初に言ったようにChrisとは仲が良かったし、YESは常に第一線にいて素晴らしいバンドだと思っているよ」。


このKeith Emersonが楽しそうにOscar Petersonとやる映像はとても微笑ましい感じがする。
ドラムはCarl Palmer。



Emerson Lake & Palmerの凄いところは、クラシックやジャズはポンと簡単に飛び越えられるものとして提示してしまったところだろう。
それはひとえに彼のエンターテイメント性が下地にあったから。その圧倒的なパフォーマンスにおいて、(プログレッシブ)ロックというのは何でも飲み込めてしまうフォーマットなんだと気付かせてくれる。そして、リスナーはどんどんそのオリジナルにも食指が伸びる。



The NiceアメリカのNBCの「Specutacular」という番組でZubin Mehta指揮するLAフィルをバックに演奏するという番組に招待されたそうで、そこで"America"を演奏した。この番組にはRay CharlesDaniel Barenboim、Jacqueline Du Pre、Pinchas Zukermanといった他のミュージシャンも招待されていたそう。
そこでヒナステラを演奏したのを初めて聴いたKeith。その時「West Side Storyゴジラに踏みつけられたようなサウンドだ」って思ったそう。その演者João Carlos Martinsの所へ行って「誰の曲だい?譜面を見せて」とお願いしたら「難しい曲なんだよ、これ。でも僕はヒナステラの弟子で彼から直接習っていたから」って言われたそう(簡単って言われたらぶん殴っていたところだって)。この曲を聴いたKeithはとても興奮し、まどろっこしく感じ、強い感銘を受け、好奇心で満たされた、と。一体こんな音楽を書く人はどんな人でそれを誰かに演奏させるなんて、とも思ったそうで。Keithは好運にもこの作者の奥さんAurora(世界的にも有名なチェリスト)がKeithがヒナステラのピアノ・コンチェルト第一の第四楽章を苦労しながらシンセサイザーによる爆音にして録音したかを理解してくれたので、ヒナステラに会う事が出来た。最初にフランス語で「酷いな」って言われた時も、そんなに驚かなかった。そう言われたんだからロンドンへ帰るべきだ、って。でも、そのテープは聞くと言ってきかなかったので、頭からきちんと流したんだ。そしたら「本来私の曲はこういうサウンドで鳴るべきだ」ってKeithに向かって言ったとか。
この言葉をマエストロ本人から言われた時の気持ちは形容し難いよ、と。

その後、偶然にも再びヒナステラの楽譜を見つけたKeith。レコードでは見つけられなかったそうで。それが、この「Steinway to Heaven」に収められている"Dance Creole"。






R.I.P. Keith Emerson